2011年3月、東日本大震災が発生した日、私は埼玉労災一人親方部会の設立準備をしている最中だった。団体を立ち上げ、一人親方労災保険を扱う特別加入団体としての承認を得るために折衝を重ねていた。
大地震が発生したため、作業は大きく遅れることになった。埼玉は被災地からは遠いので、電気、ガス、水道といったライフラインはすぐに復旧したが、契約していたインターネット接続業者のサーバーが仙台に設置されていたので、ネットが使用できなくなった。
行政側との折衝もうまくいかなかった。担当官は私がさいたまの地にこのような団体を作ることに疑念を抱いていたように思う。何度か折衝を重ねるごと、そして私の計画が具体的になるほど、行政側は頑なに承認を拒んだ。その理由がなんであったのか、後日知ることになったのだがここで書くことではないので割愛する。
しかしながら、最期は行政側も折れ、埼玉労災一人親方部会は日の目を見ることになったのである。難産であったと思う。それだけに、この団体を私は大切に育てていきたいと願っている。そして会員様である一人親方様にどのようなサービスを提供するか、日々精進の毎日が始まったのである。